万葉集に歌われた筑波山

鶏の鳴く東方の国に、高い山はたくさんあるが、神様として貴いやまで、二峰の並び立つ様子の眺めたい山と、神代から人が言い伝えている。その、国土を見る筑波山を、今はまだ冬の間で、登山の時期ではないとして見ないで行ったら、いっそう恋しくなるので、雪解けで歩きにくい山道なのに、骨をおって登っています。

 「鶏がなく」は「あづま」にかかる枕詞。

短歌は筑波山に登らないで残念がった歌です。

筑波山にわたしがあの時登ったら、ホトトギスが山を響かせて、きっと鳴いたに違いない」と、同僚が山に登って、ホトトギスが鳴かなかったことを伝えたのに対して、こたえた歌です。「私が行ったら、きっと鳴いたのに

常陸の国の二峰のならぶ筑波の山を見たいと思って、あなたがおいでになるので、暑いのに汗をかき、あえぎながら、木の根にとりついてはため息をついて登った。そこで、頂上の様子をあなたにお見せすると、男体の神もお許しになり、女体の神も好意をお示しになって、いつも時を定めず雨が降ったり、雲がかかったりする筑波山を、今は、はっきりとお照らし下され、そして、これまでぼんやりと見えなかった美しい国原を、はっきりと、細やかにお見せ下さった。これはうれしいことと、着物の紐を解きゆるめて、家にいるように打ち解けて遊ぶ。筑波山は草木のなびく春見るよりは、夏草がいっぱい茂ってはいるけれど、貴い方を御案内している今日のような日が本当に楽しいことだ。
反歌
筑波山に昔の人が来たであろうその日も、今日の日にどうして及ぶことができようか。

旅の悲しい気持ちを慰めることもあるかと、筑波山に登ってみれば、尾花の散って飛んでいる師付の田に、雁もやってきて寒そうに鳴いていた。新治の鳥羽の湖も、秋風に白波が立っていた。筑波山の良い景色を見ると、長い間思い積んできた悲しい気持は鎮まった
反歌:筑波山の袖の田で秋田を刈る娘さんにあげようとおもうので、紅葉を手折りましょう。

大空に雲のない夜に、夜の空を渡って行く月の隠れようとするのが惜しいなあ


春だというのに雪がちらちら降ってくる

鷲の住む筑波の山の、もはき津の、その津の上に、誘いあって、娘や若い男が行き集まり、歌をかけあう『かがひ』の場では、人の妻に自分も通おう。わたしの妻に人も物をいうがよい。この山を領しておられる神様が昔から禁じていないことなのだ。だから今日だけは目にも止めない顔をし、言葉とがめもするな

反歌は

男峰に雲が立ち上り、時雨が降って、着物が下まで通るほど濡れても、私は帰りはしない

筑波山のうしろに見える葦穂山 それではないが悪(あ)しい欠点も実に見えないことだ。

筑波山の岩がどうどうと鳴るほどに流れ落ちる水。それではないが、私はあなたをたゆらにあきあきした風には、思っていません。

筑波山のこんもりした木の間から飛び立つ鳥のように、あなたを目でばかり見ていなくてはならないのか。共寝をしたわけでもないのに。

筑波山の新しい繭で織った着物はあるけれども、あなたのお召し物がたいへん着たいことだ

筑波山に雪が降ったのか、いやそうではないのか。いとしいあの子が布を乾かしているのかな

筑波山にはいつも霞がかかっていて晴れやらない。その霞と同じように、恋する女の家の前を通り過ぎかねて嘆息している男と一緒に寝ておやんなさい

あの子の家の門はいよいよ遠ざかった。筑波山に隠れないうちに袖を振ろうよ

筑波嶺にがくがくと鳴いている鷲のように、泣きに泣いて日を過ごすことだろうか。逢うことなしに

筑波山のあちらこちらに番人を置いて、そのようにして、あの娘の母親は番をしているけれども、魂が逢ってしまった


俺のことは心に思うなとあなたは言うけれど、あなたの住んでいる筑波山の山の崎あたりが目に浮かばなくなったら、そういう時がきたらはじめて、あなたのことを思わなくなるかも知れないが

筑波の峰に月が出たように、この月も代わって、逢ってからの日数はすでに、ずいぶんたくさんになった。またあの人と共寝をしたいことよ

わたしの顔を忘れそうな時は、筑波山をふり仰いで見つつ、わたしの事を思い出してください

筑波山にユリの花が咲いている。その花の名と同じ夜の床にも、いとしいわが妻だ。起きている日中でもいとしい

橘の花の咲く樹の下を吹く風の香のよいように、かぐわしい立派なあの筑波山をこがれずにはいられようか