昭和30年代後半から40年にかけて、盛り場の中心は、他の地区に移っていった。 このような状況の中で当時の内山台東区長と浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎氏が、浅草の新しいイメージをつくるものとして、ブラジルのサンバカーニバルを浅草のお祭りとして取り入れることを提案。
これをきっかけに、浅草の商店連合会が主体となるサンバカーニバルが誕生した。 さらに浅草観光連盟もカーニバル推進協議会に加わり、浅草サンバカーニバルは東京下町の夏を代表するお祭りのひとつにまで成長。
現在では、出場するチームも全国区のものとなり、またサンバの本場、ブラジルの人たちからも非常に高い評価をえている。

2012.8.25
